梗塞・私の体験

(アルテプラーゼ血栓溶解療法で命拾い)

 

1.       まえがき

 脳卒中による死亡者数はガン、心臓病についで第3位をしめています。しかし、入院患者数、外来患者数は年々増加し、ガン患者数を、しのいでいます。寝たきりのお年寄りの約40%が脳卒中患者というから驚きです。

「脳梗塞」「脳内出血」「くも膜下出血」などの脳血管障害のことを総称して「脳卒中」と呼びます。 脳卒中とは、脳の血管が詰まったり、脳の血管が破れて出血するなどの原因で、 脳細胞に血液が届かなくなって、突然手足が動かない、ろれつがまわらない、意識がなくなるといった発作を起こす病気のことです。かっては脳卒中で死亡する人の大部分は脳内出血でしたが、最近では脳梗塞患者が主流となり、脳卒中患者の70%に上っているといわれています。

ところで、60歳を過ぎると脳卒中のリスクが高まってくるといわれます。なにをするにも健康第一です。そんな思いから、私の闘病体験を綴ってみました。リアルに表現していたら長文になってしまいましたが、少しのあいだお時間をいただき、日頃の健康管理について考えていただけたら幸いです。

 

2.        午前845分発症

 9月16日(土曜日)。しばらく降り続いていた長雨もやみ、久しぶりによい天気になりました。健康管理のために毎週末に続けているテニスを楽しもうと、家の近くのテニスコートへと向かいました。すでに仲間が何人か集まっていました。さっそく、ウオーミングアップの乱打。いつもより身体が軽く快調でした。強いボールを打ち返し激しく動き回っていました。その時、短い返球がきたので、急いで前進してボールを打とうとして左足に体重を掛けた瞬間です。突然、左足の力が抜けて、体重をささえることができず2,3歩よろけて、倒れてしまいました。起き上がろうとしたが、左足に力が入らず膝が崩れ起きあがることができません。

隣にいたFさんが寄ってきました。「大丈夫かい?」私は「問題ないよ。少し休めば動けるから。」と答えたが舌がもつれて巧くしゃべれません。身体の左半分が麻痺して、脳から信号を送っても手足はピクリとも動いてくれません。この感覚は独特のもので、今でも忘れることができません。

異変に気づいたFさんは、起き上がろうとして暴れる私の頭を抑え、しっかりと抱え込んで固定してくれました。SさんとDさんは救急車の手配と妻に連絡してくれました。しばらくすると遠くから「ピーポ、ピーポ」と救急車サイレンが聞こえてきました。サイレンの音はだんだん近づき、そして止まりました。あわただしく救急隊員が近寄ってきます。名前を聞かれ「篠崎です」と答えました。ろれつは回っていないが意識はしっかりしています。瞳孔反応をチェックした隊員は「瞳が寄っている」とつぶやいていました。その後、ストレッチャー(担架)で救急車に運ばれました。行く先は済生会栗橋病院。救急車は病院に向かって走り始めました。

車の中で隊員同士がAFAFとしきりに話し合っています。AFって何だろう。もしかして、重篤な症状が起こっているのかと不安になってきました。私はもつれる舌で「AFとはどんな意味ですか?」と一生懸命聞きました。隊員は無言のままです。ここは外国なのか「ワッツ ミーニング イズ AF」とわめきました。頭が混乱しています。後ほど調べたら、AFとは心房細動(Atrial Fibrellation)ことで、心臓が小刻みに震える不整脈の一種であることが分りました。

しばらく走った車は病院の救急治療室に到着。すでに、救急隊からの連絡を受けた治療スタッフは病室に待機しています。CT検査(コンピユータ断層撮影)の結果から脳梗塞の発症が確認されました。主治医は妻に病状と治療方針の説明をしている模様。耳を澄ませて内容を聞こうとしたが聞こえません。やがて「よろしくお願いします」との妻の声。ストレッチャーに乗せられたまま、心電図や血圧のモニター機器のひしめくICU(集中治療室)に移動しました。

3. 新薬の点滴は時間との闘い

脳梗塞は、脳の動脈に血栓(血の塊)が詰まって起こります。その塊を溶かすのがアルテプラーゼ血栓溶解療法(tPA)です。この薬は昨年10月に承認されたばかりの、画期的な特効薬だが、使用できるのは発症から3時間以内に限られています。そして、脳出血などの重い副作用を引き起こす可能性があるので、tPA療法は習熟した専門の医師とスタッフが整っていることが条件となります。私は発症から治療開始時刻まで、ちょうど1時間でした。

いよいよ治療の始まりです。担当のO先生は頭脳の優れたスポーツマンタイプの大変頼りがいのあるドクターに見えました。先生を見上げると目が合いました。「先生に命を預けました。よろしくお願いします」と目で合図しました。先生は「任せてください」と自信に溢れた表情で目配り。無言の内にも信頼関係の生まれた瞬間です。

脳の血流を速やかに再開させるには、まず、使用量の10%の輸液を静脈注射で急速に投与した後、残る90%を点滴で1時間かけてゆっくりと投与する方法です。効果があれば、通常5分ぐらいで症状が劇的に改善されるそうです。

看護師Oさん(男性)は知識が豊富で穏やかな人です。「いま、強い薬で血栓を溶かしているところです。すぐによくなりますよ。」と励ましてくれました。私は脳の血栓が溶けて行く状態をイメージしていました。「だんだん薬が効いてきた。そろそろ溶け出す頃ではないか」と思い込みながら、脳から左の手足に一生懸命指令を送り続けました。30分を過ぎても反応がない。予想より時間が掛かっています。しかし、不安はありませんでした。今に動くようになると、私はあくまでも楽観的でした。

40分を過ぎた頃、左足が動くようになったが、指先にはまだ反応がありません。少しして指が動いています。イメージ通りです。いよいよ、左手の番です。4,5分して左手が上がるようになりました。先生はニコニコ顔で拍手をしてくれました。

続いて手が動き始める。治療を開始して約1時間経過していました。あまり反応が遅いので、先生は完全な回復を半ばあきらめていたそうです。タイムリミットぎりぎりのセーフ。(時間の経過は先生と看護師さんから聞いて推定。)

大きな山場は越えたが、次は脳出血などの副作用が心配です。引き続いてICU24時間の監視体制に入りました。意識レベルのチェックが頻繁に行われました。「名前は」「年齢は」「右足を上げてください」「左手を伸ばしてください」など10項目以上にわたるチェックが行われました。チェックの頻度は、最初の3時間は15分間隔、次は30分間隔、最後の12時間は1時間間隔となります。この間に自動血圧計がブルブルと作動。そんなわけで、ICUでの24時間はほとんど睡眠できない状況でした。治療の経過は良く、翌日からは一般病棟に移動できました。

4.       一般病棟での生活

一般病棟に移ってからも、安静治療は続きます。3日間はベッドから頭を上げることは許されず、せいぜい寝返りを打つ程度です。血液をサラサラにするヘパリン(血液凝固阻止剤)やソリターT3(電解質補給剤)などの薬液が常時点滴されました。

何よりもつらかったのは、尿の排出のために膀胱へ挿入する、柔らかいプラスチック製のチューブの装着です。これは尿道カテーテルと呼ばれる器具で尿道からチュ-ブを差込み膀胱でバルーン(風船)を開いて固定しています。

膀胱に溜まった尿はチューブを通してプラスチックの袋に垂れ流されます。なんとも、情けない格好だが、自分では何もすることができないので身の回りのことは、すべて看護師さんまかせとなります。ナースコールのボタンを押せば、すぐに若い看護師さんが飛んできてくれます。みんな嫌な顔をする事もなく、献身的に看病してくれました。その姿に感動、感謝の日々でした。

3日間の安静期間が終わりバルーンは膀胱からはずされました。気分爽快。食事は粥飯が食べられるようになりました。5日目からリハビリが始まりましたが、手足に異常のない私には退屈な日課でした。

こうして、16日間の入院を終え退院です。初めての入院生活に、我が家ほど良いところはないことを実感しました。

5.        強運の男は不死身であった。

治療前に妻は主治医から、「たとえ命を取り止めても、機能障害は残るでしょう」と告げられていたそうです。それが完治するなんて夢のようです。発症の原因は、テニスで激しく動きまわったことで、心房細動を誘発し、心臓の中にできた血栓(血の塊)が血液の流れに乗って、脳の細い血管で詰まってしまったことによるものです。血の塊が心臓に飛べば心筋梗塞、肺に入れば肺梗塞となる怖い現象です。

長島茂雄元監督も心房細動が原因の脳梗塞です。長島さんのことですから、最高レベルの医療を施したことでしょう。しかし、後遺症は消えていません。おそらく発見が遅れてしまったのではないでしょうか。

私の運が良かったのは

  気心の知れた仲間の素早い対応。

救急車の手配、正確な発症時刻の特定、身体の保持、身内への連絡などをテニスの仲間が迅速に行ってくれました。素早い対応は回復へのカギを握ることになります。妻が在宅していたことも幸でした。tPA療法は副作用のリスクがあり、身内の承諾なしに主治医が新薬を使ってくれたかどうか疑問です。

  休診日の当直医は神経内科の専門医であった。

主治医のO先生は数年前に国立循環器センターでtPAの臨床試験(治験)の担当者として、新薬の承認に尽力された専門医でした。大阪府吹田市にあるこのセンターは、心臓病や脳卒中など血液の不調で起きる病気を治療・研究する、日本のトップレベルの拠点施設です。このことが分ったのは、たまたま妻が見つけて持ってきた、朝日新聞に連載中の「脳卒中 ルポ・集中治療室」の記事をO先生に見せたときです。そこには、MRI(磁気共鳴断層撮影)を見つめる3人の医師の写真が載っていました。それを見た先生は「ああ、懐かしい顔だ。この人たちは私の後輩です。」といって「国循」での治験成果を話してくれました。そんな名医にめぐりあったのです。

詳しい内容は朝日新聞の生活面で、4月から始まっている長期連載「患者を生きる」をご覧ください。脳卒中は926日から12回の連載で、tPAの詳細が分ります。

  ダメージを受けた脳細胞は運動機能の部位から外れていた。

後日、MRIの画像を見せてもらいました。そこには大脳の動脈から枝分かれした血管が詰まって、脳細胞が死滅している状況が鮮明に写っていました。「血栓の溶解が遅れて脳の深部におよんでいたら、おそらく死亡していたでしょう。」と先生はいう。そして、「死滅している脳細胞は運動機能をつかさどるところから外れていたので、手足の麻痺が残らなかったのでしょう」とも。なんだかでき過ぎている幸運です。

それなら、白質化して死滅している脳細胞はなにに関係した部位であったのでしょう。そういえば認知障害が少し進んだような気がします。けれども、多少記憶力が衰えたとしても、手足を自由に動かすことができるので満足です。そのうちのゴルフだってできるはずですから。

6.ひびの入った茶碗は大事に扱おう。

昔、祖父が言っていました。「ひびの入った茶碗もていねいに扱えば孫子の代まで使えるが、乱暴すればすぐに壊れてしまうものだ。人間の身体だって同じことだよ」 一病息災ともいいます。持病のひとつくらいある方が、無病の人よりも健康に注意するので、かえって長生きできるものです。ひびの入った茶碗は元に戻らないが、大切にあつかえば長持ちします。一度失いかけた命を粗末にしたら罰が当たります。

今回の体験から、私は皆んなに生かされているのだと思いました。自分ひとりの命ではないことを痛感しました。そして、私を支えてくれた多くの人々に感謝するとともに、この命を人に役立てようと願っています。

7. 最後に

なにはともあれ、当面は体力回復に専念しなければなりません。脳が安定するまでは半年かかるそうです。テニス、ゴルフや海外旅行はしばらく休止となります。

時に、患者数で見れば癌より多いのが脳卒中です。高齢社会で増える脳梗塞の危険因子としては60才以上の人、脳卒中の家族歴のある人、動脈硬化、高血圧、糖尿病、高脂血症などの生活習慣病をもっている人、喫煙、大量飲酒、ストレスなどのようです。また、心臓弁膜症、急性心筋梗塞、心筋症、不整脈などでは、血栓ができやすいので注意が必要です。脳梗塞も生活習慣病の一つ。生活習慣を改善することが最も大切な予防法であることを忘れないようにしましょう。

200610月22日

篠崎 春彦